三菱石炭鉱業株式会社 南大夕張炭鉱

北炭夕張新鉱のことばかり書いていたら、ただでさえ少ないネタが枯渇してしまうので(笑)、ここらですぐ隣の鉱区にあった南大夕張炭鉱の簡単な解説でもしてみたいと思います。
 
 
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夕張市内に作られた炭鉱で二番目に新しく、そして一番最後まで稼働していた炭鉱が南大夕張炭鉱です。
ここは日本で初めて原料炭を専門に採炭する新規開発のビルド鉱第一号として1966年より工事が開始され、1970年に完成しました。
 (南大夕張 北海道立図書館:所蔵)
 
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上の画像は1974年頃の坑道配置。夕張新鉱と比較すると結構複雑です。
やや傾斜のある炭層で採炭を行った関係上、主力となった機械はドラムカッター&自走枠というSD採炭法ではなく昔ながらのホーベル、ピック、水圧鉄柱でした。
 ※一応はSD採炭もされていますが、ドラムカッターは小さなシングルレイジングなので規模はそれほどでもありません。
 ※※そのシングルレイジングドラムカッターは石炭の歴史村にある石炭博物館で動態保存されています。
 
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上から見るとこんな配置です。
他の炭鉱と違って入坑用の立坑は作らず、斜坑のみです(排気立坑を除く)。
 (南大夕張炭鉱開発概要 札幌中央図書館:所蔵)
 
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1987年になると海面下730mと相当深い場所へ切羽が進んでいました。
しかし、この深部切羽は1988年に発生した山ハネが原因の鉱員死亡事故により放棄されることとなります。
そして閉山までの2年間は浅部区域が採炭の中心となりました。
 (「炭鉱技術特集号 北海道炭鉱技術会40年の歩み」より坑道図をトレース)
※黒い三角形に紫色の線は、切羽とその進行方向を表しています。
 
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石炭博物館に展示されている南大夕張炭鉱の坑道模型。
あまりにゴチャゴチャしていてわかりにくいです。
 
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南大夕張炭鉱も御多分に漏れず、夕張新鉱ガス突出事故の4年後である1985年に62人死亡、重軽傷者24人という悲惨な爆発事故を起こしています。
 
北炭夕張新鉱、三井三池炭鉱有明鉱と共にビルド鉱三山の一つである南大夕張炭鉱ですが、意外と事故に関する資料は少ないです。夕張新鉱の場合、事故の重大性や北炭の体質などに絡んだ様々な書籍が出たのだが……。
大財閥である三菱に目をつけられるのを皆恐れたのだろうか、と考えるのは穿ち過ぎですかね?
 (南部市民体育館裏手にある南大夕張炭鉱殉職者慰霊碑)
 
 
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南大夕張炭鉱の閉山から早20年。先日開催された汽車フェスタの会場で、三菱の代紋と南大夕張炭鉱の銘が入ったテントが使われていました。
2年前の汽車フェスタで初めて見た時は目を疑いましたよ(笑)。ホント物持ちがいいなぁ。
そういえば、2008年春に閉校となった幌南小学校の資料室には大夕張炭鉱、南大夕張炭鉱に関する品々が多数保管されいると聞きます。機会があれば一度拝見したいものです。