夕張 35年目の10月16日 その1


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※ この日記は、本来ならば夕張からのツーリングを終えた10月16日当日の夜にアップをする予定でしたが、諸般の事情により1週間遅れとなってしまいました。
読者の皆様、どうかご了承下さい。

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ここ最近の晴れたり曇ったり雪が降ったりといった、短期間で温度と天気が猫の目のように忙しく変化する北海道内ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
さて、タイトルにも書かれている通り「10月16日」はあの北炭夕張新鉱でガス突出事故が発生した日です。そして今年は1981年からちょうど35年が経過した節目の年でもあります。
以上、本日はその夕張へ短時間ではありますが長江サイドカーでツーリングに行ってきたことを書き記してみたいと思います。


10月16日(日)
10月も中盤となり、太陽が顔を出している時間帯でも肌寒い日が増えてきた。そろそろ我が愛車の長江サイドカーも冬眠に向けて準備をする時期だろうか、などと考えながら朝6時半に起床。朝食を食べ身支度を整えて、7時半頃にいざ出発……と思っていたところ突然身内から電話があって色々とゴタゴタしてしまった。この騒動により出発が2時間以上遅れて9:50 AMに自宅を出ることに。

札幌新道から国道274号線へと入り、収穫の終わった田園地帯にある直線道路を長江は50km前後で駆け抜ける。体に当たる風は先月よりも少々冷たいが、その分エンジンの調子が上がった気がする。だけど右シリンダ付け根部分からのオイル漏れは本当にどうにかしないとな。右側の靴にベットリとオイルが染み込んでしまっているのはどうにも……。

とりあえず夕張行の途中にある道の駅マオイの丘を目指すとするか。


イメージ 1
10:55 AM
直売が開いていない春と冬を除いて、いつ来ても大勢の人で賑わっている道の駅マオイの丘(長沼町)。トイレ休憩とエンジンオイル冷却中の暇つぶしを兼ねてふらりと店頭を冷やかしてみるが、夏~秋の天候不順の影響で売られている野菜が結構高い。
しかしそれでも札幌市内のスーパーよりは多少安いのだが…。


イメージ 2
本当は駐車場に長江を停めたかったのだが、空きがなかったので仕方なく建物に近いバイク用駐車場に停めたら、いつものように注目を浴びてしまった。
オイルを適温まで下げた後、ジロジロと刺さるような視線を感じながらエンジンを始動。夕張へと向かう。11:15 AM

マオイの丘を出発して夕張市紅葉山に至るまでの間、夕張川沿いの紅葉を楽しみにして走っていたのだが、途中の霧雨橋周辺からは葉が若干色づいている程度のやや期待はずれな紅葉であった。桜で例えると3分咲きといった感じか。
もう3~4日ほど経てば葉の色も濃くなって絶景へと変化しているかもしれない。


イメージ 3
石勝線夕張支線 沼ノ沢駅に到着。11:48 AM
昨今話題となっている夕張支線(夕張駅新夕張駅間)は、今年8月に開かれた夕張市長とJR北海道の協議により、3年後の2019年3月をもって廃線となることが(ほぼ)確定した。北海道内に赤字路線は多数あれど、この夕張支線は21世紀の今までよく持った方だろう。


イメージ 4
…で、実は以前から気になっていたものがここにある。それはこの年代物の歩行者用跨線橋だ。
夕張市内でまだ北炭と三菱の炭鉱が稼働していた当時、夕張支線には機関車と客車と石炭貨車が数え切れないくらい走っていた。そして踏切の遮断機も昼夜を問わずひっきりなしに上下していたであろう。
その踏切で発生する列車と人との事故を減らすために作られたのがこの跨線橋だ。

しかし度重なる閉山で夕張市から炭鉱が消え、利用者の減少により鉄道が消え、そしてこの跨線橋も今その役目を終えようとしている。今ではここの線路を通過する列車は、上りと下りの両方を合計しても1日10本しかないのだ。


イメージ 5
クリーム色の塗装は禿げ、大きな赤黒い錆が浮いた跨線橋。そしてその横には近々始まるであろう跨線橋の解体工事を示す立て看板が設置されている。
跨線橋を作らねばならないほど、沼ノ沢では列車の往来が激しかった」という過去を証明する遺構だが、完全な姿はここ数週間で見納めかと思われる。


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ちょっと登ってみる。
階段は子供向けとして作られたのか段差が15cm前後と非常に低く(跨線橋のすぐそばには5年前に廃校となった夕張市立緑小学校(沼ノ沢小学校)がある)、左側には自転車を押して載せるための斜路となっている。段差の隙間には雑草がすごい勢いで生えており、まともに人が歩いた形跡はない。


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上の通路部も両端が雑草に占拠されている。


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跨線橋上から清水沢方面を覗くと、ちょうど真谷地行きの夕鉄バスが線路を横断していった。


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夕張支線の手前にある、横断する道路に半分埋まった状態の線路の痕跡。
位置的にこれは沼ノ沢駅構内にあった北炭夕張新鉱専用線から本線へと繋がる線路跡……ではないだろうか?


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跨線橋から200mほど北西へ歩いた場所にある数棟の倉庫。これらは夕張新鉱時代からある貴重な遺構である。
上の画像だと右と左の倉庫は稼働当時から資材などを保管する倉庫として使われていた(真ん中のは不明)。なお、この位置からは死角になって見えないが、奥にも当時そのままの倉庫が現在でも利用されている。


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左側の倉庫のアップ。作られてから40年近く経過した倉庫なので壁や屋根の痛みが激しいものの外見はそれなりに保っている。
しかし夕張新鉱の坑口事務所や立坑櫓が既に解体されてしまった以上、当時から残る新鉱の物証はこの倉庫や通洞、斜坑坑口、清陵町の団地くらいしか存在しない。


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その倉庫の約300m先にある広大な空き地。ここには北炭が誇る巨大な選炭工場と未選ビンとシックナーが鎮座していた。
そして新鉱閉山後しばらくしてから選炭工場は解体され、跡地は沼ノ沢工業団地として分譲がされたが、左側に見える食品工場以外は思うように誘致が進んでいない。


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跨線橋と倉庫を一通り見終わって沼ノ沢駅へ戻ってきたと同時に、正午を知らせる大音量のサイレンが鳴った。駅前にはいつの間にやらレストランおーやまを目当てに訪れた多数の車とバイクが停められていた。夕張ではかなりの知名度を誇る有名店だけあって、窓越しに見える店内も結構賑わっているみたいだ。
自分もここで食事をしたかったのだが、時間が押していたこともあり今回は残念ながらパス。
調理場の換気扇から漂ってくる旨そうな料理の匂いを嗅ぐだけに留めた。


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お昼とほぼ同時に夕張駅行きの列車が沼ノ沢駅に到着。12:03 PM
車内をチラリと見てみると、意外にもそこそこの乗客がいた(失礼ながらもっとガラガラかと思っていた)。中には新聞やテレビで廃線を知り、記念で乗ってみた……という人もいるのかもしれない。


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ディーゼル特有の低くこもったエンジン音を響かせながら、15人前後の乗客を乗せたキハ40は終点の夕張駅へ向けて発車していった。


続きます