夕張探訪2014 その1

皆さん、どうもこんにちは。ここ最近はずっと長江サイドカーにうつつを抜かしてしまい、炭鉱ネタはすっかり御無沙汰気味となっておりました。炭鉱ネタを期待されて当ブログにお越しされていた方には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ごめんなさい。

…で、まぁ今年一番の私的大仕事であった長江サイドカーの全塗装も9月で無事に終わり、残りわずかなバイクシーズンをどうやって過ごそうか、と考えるとやっぱり読者様の期待に応えるために炭鉱跡探索をするしかないんですね。となると、自分のライフワークでもある夕張新鉱関連で探索をするのが一番理に適っている(?)と判断し、10月12日に夕張へと行ってきました。

朝の9時30分に出発。途中で一度休憩を挟むも、ほぼノンストップで夕張へと向かった。この日はちょうど紅葉の見頃(と言っても桜で例えると六~七部咲きだが)で川端~滝ノ上の間は山が色付いていました。特に夕張川を渡る雨霧橋周辺撮影ポイントになっており軽く渋滞していた。道路をウロウロと歩く人が多数…カメラを覗きながら歩くと轢かれるぞ。

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11時15分
2011年6月にオープンした道の駅夕張メロードに到着。ここには初めて訪れたのですが、まぁ、中でスーパーマーケットと併設されてる以外は普通です。ただ、道の駅にしてはトイレが狭いな。この規模にしては小が3つ、大が2つしか無いので人が多いと待たされます。
それにしても紅葉の季節で尚且つ3連休の中日だったため、駐車場も店内もすごい混雑でした。そして地元野菜の直売コーナーには夕張産の落花生とさつまいもが売られていた。ここ最近の地球温暖化が原因で、冷涼な気候のはずの夕張でも暖かい地方の野菜の作付けが可能になってきているのか…。複雑な気分だ。

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道の駅で15分ほど休憩後、まずは真谷地の選炭工場跡へと行ってみる。
ここへ来たのは2009年夏以来。その頃と比べるとずいぶんと草が茂ってきていると感じた。往時の炭鉱を偲ぶものは何も無く、2009年にはまだあった十連窯(閉山後にここで第三セクター会社が木炭を作っていた)も、すでに一切の跡形もなく撤去されていた。面影といえばコンクリート片と小さな石炭が散らばっている程度です。

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夕張市内に唯一現存していた貨車積み込み用の石炭ホッパーも解体されて今は無く(2008年解体)、ボロボロに剥がれたコンクリートの壁面だけがかろうじて残されていた。
今更だけど、真谷地のホッパーは見たかったなぁ……。

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2009年当時の真谷地炭鉱跡地。
この頃は入り口にはゲートが設けられており、関係者以外の車両は敷地内へ入ることができませんでしたが、今回行ってみるとゲートはありませんでした(だから長江でも奥へと入れた)。恐らく、ここはもう管理されることもないでしょうから、あと15年もすると草木が伸びて森になっているかもしれません。

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そういえば、真谷地の市街地を抜けてここへ来る途中に、道路脇に旗が何本か立っているのを思い出した。「山火事注意」とか「ゴミの不法投棄禁止」とかのよくある注意喚起だろうと思ってよく見てみると……

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……物騒すぎる…。
ヒグマやエゾシカに間違われて撃たれるのは勘弁なので、そそくさと真谷地炭鉱跡から退散した。
っていうかこの辺は猟区だったのか。民家が結構近いのにな。

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次は夕張新鉱の斜坑坑口を探索。
沼ノ沢駅裏の道路に長江を停め、反対側の草地を30メートルほどヤブ漕ぎします。
ここには以前(2010年9月)にも一度来たことがあったのですが、その時には材料斜坑しか見ることができなかったので、今回はしっかりと探して行きたいと思います。
そして用心のためにトランクから長靴を取り出して履き替えた(エンジンの脇にスニーカーが見えますね)。

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まず最初に目に飛び込んでくるのは材料斜坑坑口。草に囲まれているものの木には覆われていないので見つけるのは容易です。
新鉱現役時は、ここから台車に坑木や鉄枠などの資材を載せて坑内へ搬入していました。

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ちなみにこの坑口は地下から坑内水が湧き上がっているらしく、半径3メートルは沼地状態。しかも深さがわからないので長靴を履いていても接近には躊躇します。たぶん膝くらいまでの深さはありそうだな…。残念だが近づくのは諦めて遠巻きに見るだけに留める。正面に貼られたプレートの文字は消えかかっており判読不能
そしておまけに倒れて半分水没した放散塔からは時折「ブクッ、ボコッ、ボコボコッ」と濁った不気味な音と泡が……。密閉した坑内からは未だにメタンガスが出てきているんですな。

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ふと真谷地寄りの方向へ視線を移すと、奥の斜面に小さい人工物が見えた。気になって近づいてみると上面と側面を土のうで固められた坑口だった。だが、それにしては板を打ち付けてご丁寧に玄関ドアまで設置してある。トアの下には土や枯れ葉が厚く積もっているので、かなり長い年月開け閉めはされてなさそうだが、一体誰が何のために……? 謎な構造物だ。

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謎は深まるばかりだったが、気を取り直して探索を続ける。
材料斜坑抗口から北に60メートルほど移動すると、鬱蒼とした木々の中に2つの影が見えた。以前探索に来た時に何故か見つけられなかったベルト斜坑と扇風機風道だ。
それにじても草がすごい。家から鉈をもってきたらよかったなぁ。

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ベルト斜坑。据え付けてある放散塔は根元付近から折れていた。
この斜坑はその名の通り現役時はベルトコンベアが設置され、切羽から掘り出した石炭は、坑底にある貯炭ポケットに一定量を貯められた後、地上の選炭工場へ順次揚炭されていた(ズリの排出も兼ねている)。ベルトコンベアは3000メートル近い長さがあり、運搬能力は780t/hであった。

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プレートの文字はかろうじてどうにか読める程度。しかし後数年もすれば消えてしまうだろう。

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こちらはベルト斜坑扇風機風道。放散塔は真っ赤に錆びてはいるものの、原型をそれなりに保っている。なお、ここでいう扇風機とは坑内へ新鮮な空気を送り込むための巨大な入気用ブロワーのことで、夏に涼むための家電製品ではない。
この斜坑は坑口から数十メートル奥でベルト斜坑と交わっている。

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プレートに書かれた文字の状態はかなり良い。ベルト斜坑のプレートとは大して離れていないのだが、その状態にはここまで差が出ている。

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抗口から道路を挟んですぐ向かいにある倉庫(左の三角屋根)。解体されずに今でも別の会社によって使われている。新鉱現役時は資材類の保管倉庫として使われていたという。
この日は休日だったため周囲に人の気配は無かった。

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今回探索した夕張新鉱斜坑抗口周辺のGoogle Earth画像と説明。

なお現在のGoogle Earth夕張一帯の空中写真は、2014年7月29日撮影の最新データーへと更新されているので(しかも閲覧に邪魔な雲がとても少ない)、以前と違ってものすごく鮮明な画像となっています。
ここまで鮮明になると、これからの夕張に残る炭鉱関連の遺構の探索に威力を発揮するのはまず間違いないでしょう。

続きます