夕張探訪2014 その2

前回の続きから

沼ノ沢駅裏手で無事に夕張新鉱の斜坑抗口を発見することができ、次の目的地へと移動します。その目的地は斜坑から300メートルほど離れた場所にある橋です。

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橋といっても川を渡るための橋ではなく、線路の上を通過する跨線橋です。

その名の通り夕張新鉱が営業開始をした時期に作られた橋です。反対車線側の欄干に付けられた銘板には、昭和50(1975)年12月竣工と文字が刻まれています。
当時の沼ノ沢駅には、夕張新鉱で掘り出された石炭を製品化するための巨大な選炭工場が建てられていました。

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清水沢方面、住宅が見える付近に石炭用貨車(セキ)への積み込み設備がありました。
ここで積み込まれた石炭は苫小牧港まで送られた後、石炭運搬船に積み替えられて本州方面の製鉄所やガス会社へと出荷されました。夕張新鉱の地下深くで産出される石炭は世界でも稀にみる、極めて品質の良い原料炭であったため、主に製鉄用コークスや都市ガスの原料として使われました

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この道の右奥、突き当りの場所に選炭工場がありました。
……おや?背景に何か珍しいものが写っています。

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黄色いボンネット型のトラックだ。今ではとても珍しくなりましたね。
荷台の形状からすると散水車か何かだろうか?

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車種はわかりませんが、目を凝らしてフロント横のエンブレムを見ると日産ディーゼルと読めました。
それほどボロくは見えないのでまだ現役のトラックなのでしょう。

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しんこうばしとボンネットトラックを後にし、長江サイドカーは山の方へ道なりに進んでいきますと、畑の中に突如8棟の二階建てアパートが出現。これは元をたどると夕張新鉱の鉱員向けアパートとして建てられました。
立坑のある清陵町地区からは結構離れているため、ここには選炭工場で勤務する鉱員・職員が住んでいたのではないかと思われます。なお、今では夕張市市営住宅となっています。

鉱員アパートを通り過ぎ、畑の中の道路を快適に走りつつも目は左右の脇道を見やる。うーん、たしかこの辺だったはず……お、それっぽい道を発見!左に曲がって入っていく。
結構急な登り坂、ギアを2速に落としアクセルを吹かせ気味にして駆け上ると、坂の上に一軒の小さな農家があった。そしてその脇には赤いトラクターに乗ったオジさんが「……誰だコイツは?」という顔でこちらを見ている。ここの家の人がいるのなら話は早い。自分は長江にまたがりながら本題を切り出した。

「あのーすいません、この奥にある夕張新鉱のズリ山を見たいのですが」
メガネをかけた小柄なオジさんはニヤリと笑ってこう言った。「見たいのかい?」
自分は「ハイ!」と即答した。

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「すぐそこの畑の横道をいけばズリ山は目の前だよ。だけど山の頂上までは(バイクでは)行けないから、そこから先は歩きになるぞ」
少々ぶっきらぼうな口調だが根は良さそうな人だ。ありがとうございますと礼を言い、畑にそって100メートルほど進むと、そこにズリ山があった。
以前から来たい来たいと思っていた夕張新鉱のズリ山。間近で見ると山にしてはあまり高さを感じず、のっぺりとした印象を受ける。

ズリ山のふもとは、ここの農家の農機具置き場と化しているみたいだ。自分の長江もここに置き、あとは徒歩で登ることにした。

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地面は固く閉まっていて歩くのに問題はない。そして今歩いている尾根と平行に排水用の大きな溝が掘られており、その奥の斜面にも何本か掘られている。閉山後に土砂崩れ防止のために工事がされたのだろう。
うーん、だけど思っていたよりも傾斜がきついな。ジャケットを着たままだったので暑くて息が切れる。

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400メートルほど歩いて頂上に到達。時間にして約7~8分といったところだろうか。とはいってもダラーッとした斜面と起伏の山なのではっきりとした頂上は不明。そしてこのズリ山は沢を埋めて作られた山なので高さもあまりなく、周辺も山や樹木に囲まれているせいもあり見晴らしも大して良くはない。上の画像は沼ノ沢方面を写したものだが、ふもとの木々によってほとんどが隠されている。
だがこれでいいのだ、景観よりも「この場所にいる」事のほうが重要なので。

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下山途中に石炭を数個拾う。
これが夕張新鉱の原料炭か……。ズリなので多少はカロリーが低いと思われるがよく燃えそうだ。

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ズリ山登山後、4年ぶりに夕張新鉱の跡地(立坑・総合事務所跡)へ行こうとしたらこの仕打ち。Oh…林道のゲートが閉まっている。ここの探索を一番期待していただけにショックも一番大きかった。
だけどまぁ、冬眠前のヒグマに遭わずに済んだと考えればよしとしよう。単独行なのであまり無理はできないし。

……来年の春になればゲートは開いているだろうか?

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気を取り直して清水沢清陵町の団地へと向かう。
ここにあるのは夕張新鉱の清陵町側通洞だ。当時、鉱員達はここからトンネル内を走る電車に乗って立坑地区にある総合事務所へと通勤していた

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この通洞口の脇には夕張新鉱事故のための慰霊碑があるのですが、その横に数年ほど前に、怪しい御堂が建てられた。7年前の夕張市長選に立候補した羽柴秀吉とかいう怪しいオッサンが関係しているらしい。

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……まぁ、事故遺族や関係者からするとこうなるわな…。

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慰霊碑の下には真新しい花と共にウイスキーのボトルが手向けてあった。故人の好物だったのだろうか。

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通洞。トンネルの長さは1100メートル近くあり、山を超えた向こう側にある総合事務所まで小型の電気機関車で人車を牽引していた。
ここには今でも訪れる人が多いのだろう、足元に生えている草の多くは倒れており歩きやすくなっていた。

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鉄柵の間から中を見ると、20メートルほど先で密閉がされている。

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今も入り口の上部に掲げられる、真っ赤に錆びついた北炭夕張新炭鉱の文字看板。
北炭が世界に誇る最新鋭の炭鉱として1975年に産声を上げ、1981年10月16日に大事故を起こし、1982年に消滅した。わずか7年の鉱命であった。
合掌


続きます。