炭鉱の保安展

7月30日(土)に岩見沢市にあるそらち炭鉱の記憶マネジメントセンターの石蔵で行われた【炭鉱の保安展】の講演企画「お話を聞く会」を見学してきました。
この聞く会にゲストとして招かれた大竹安夫氏は、17歳で美流渡炭鉱に勤めて以来、北星炭鉱、北炭夕張一鉱、夕張新炭鉱、幌内炭鉱と定年退職するまでずっと炭鉱の保安一筋で働いてこられた「坑内保安のスペシャリスト」です。
午後2時から2時間半の講演でしたが、中身は非常に濃くてどれも興味深い話ばかりでした。正直言って全然聞き足りなかったぐらいです。

大竹氏は炭鉱では保安の仕事を中心にしてきたことだけあって、メタンガスや炭塵、発破、静電気、自然発火などが原因の、実際に発生した坑内災害と絡めて具体的に説明されたので理解しやすかったです。
例を挙げますと……
 ・切羽の深さが500mを超えると、ガス抜きボーリングをしないとメタンガスが全然抜けない
 ・空気中のメタンガス濃度が25%までなら呼吸が可能(ただし、そうなる前に退避させるが)
 ・坑内爆発が発生した時、爆発の炎や勢いは新鮮な空気のある入気側のかなり奥まで向かう(排気側は安全)
 ・1立方mあたり50gの炭塵が含まれると炭塵爆発の危険性が高くなる
 ・天気が悪くなる(低気圧が接近)と気圧の関係でガス突出がしやすくなる
 ・採炭跡や坑道に露出した石炭層の自然発火防止として、石炭と空気を遮断するためにフライアッシュ(石炭灰とセメントの混合物)充填やトルクレット吹付を行う
 ・幌内炭鉱や奔別炭鉱の稼行炭層である幾春別層周辺は、高い濃度の遊離珪酸分が含まれており、夕張の諸炭鉱と比べて数多くの塵肺患者が発生した
 ・炭塵、静電気、塵肺の防止策は、切羽などにとにかく大量に水を撒くしかない
 ・大竹氏は安全管理の責任者であったため、家には会社との直通電話が設置された。そしてベルが鳴った場合は大抵が事故
 

さらに大竹氏は夕張新鉱においては開鉱前の掘削工事期から勤務しており、1981年のガス突出事故では発生から終結まで、保安係長兼救護隊員として第一線の現場指揮を執りました。世間では林千明北炭社長が「炭鉱と己の保身の為に人権無視の注水をした」と今でも非難の槍玉に挙げられますが、これは林社長が思いつきで注水を指示した訳ではなく、現場を一番良く知る大竹氏による上層部への提案を理由としたものでした(氏が坑内の前進基地から測定した即死レベルの一酸化炭素濃度により、断腸の思いで報告)。
揚水後の坑内では、火災と盤圧の影響でペシャンコになった坑道を掘り進め、完全に白骨となった同僚や部下を探しだすという凄まじい経験もされたそうです。
 
恥ずかしながら、今まで自分は「資料としての炭鉱事故」は知っているつもりでしたが、ここまで恐ろしくそして生々しい話を聞いたのは、今後の糧になると共にショックでもありました。
会社や工場で何気なく目にする「安全第一」「危険予知」という言葉も、これらの多大な事故を教訓として作られました。…じっくり噛みしめたいものです。
 
 
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 講演終了後、来場者と意見交換をする大竹氏(中央)