石炭の歴史村 石炭博物館 その3

前回の続きです。
 
博物館2階からエレベーターでこの地下展示に降りてくるのですが、それが少し凝っていまして…炭鉱の立坑みたいに内部照明が暗くなり、効果音付きで雰囲気を盛り上げます。
 
 
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エレベーターのドアが開くと、トンネル状に奥まで時代ごとの展示が延々と続いています。
ここでは明かりがスポットライトくらいしかないので、デジカメの画像がぶれたりボケたりで苦労しました。
 
 
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降りて最初の感想は「寒い」でした。
すぐ横の壁に温度計があったのですが、目盛りを読むと10度しかない。
 
 
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明治期の、原始的な狸掘りによる採掘。
狸掘りとは人一人が通れるくらいの細い坑道を、炭層を探しながら掘り進める方法。掘った後の坑道がクネクネと曲がって狸の巣に似ていることからその名がついた。
三笠市幾春別には今でも狸掘りの跡が残っています。
 
 
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坑内馬による運搬。
機関車や巻上機が開発・普及するまでは人力か畜力で掘った石炭を外へ運んでいました。
 
 
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時代が一気に下がって昭和初期。
これは坑道の枠の取り付け。
 
 
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狸掘りみたいに無闇に坑道を掘って採掘するのではなく、炭層を壁状にして横一列で一気に採掘するやり方が導入された。これが現在に続く長壁式採炭法です。
 
 
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敗戦後、炭鉱先進国であった西ドイツから導入された鉄柱(黄色の摩擦鉄柱)とカッペ(上にある鉄製の梁)で構築した切羽。
それまでは適当な太さ・長さの木で切羽の天井を支えていたが、頑丈な全金属製の鉄柱とカッペの使用により安全性が大きく向上した。
 
 
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エアオーガによる削孔。
開けた穴にはダイナマイトを装填する。
 
 
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坑内火災やガス突出、ガス爆発などの重大災害が発生した時に現場へ投入される救護隊。
炭鉱内部は極めて特殊な環境で、消防や警察による救助活動はまず不可能なため、「いざという時」に備えて常日頃から、各炭鉱会社がベテラン鉱員から選抜して自前で教育している。大抵の場合、現場では5人一組で行動する。
坑内で火災やガス突出が発生すると空気中に致死量の一酸化炭素やメタンガスが充満するため、酸素呼吸器とゴム製のマスクは必需品だ。
 
 
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2階に展示してあったマネキンと比べると、ハーネスやベルトを締めていないので、なんだかだらしなく見えます
 
 
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色々なタイプの安全灯。
実際に燃える火を使うので、安全性の高い電球を使うキャップライトが普及すると次第に消えていった。
 
 
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セルフサービス型の安全灯自動充電台。
出坑後に使い終わったら安全灯のバッテリーを台の金具にセットすると、自動で充電されるようになっています。
 
 
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坑内で使われた鉱山用防爆ケーブル。
電気用、通信用など多数の種類があった。
 
 
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坑内電話。勿論、全部火花などを出さないよう防爆構造です。
今の時代、黒電話と言っても通じないよね…。
 
 
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日本鉱機製、初期のチョック型(で正しいよね?)国産自走枠。
赤平にあったシールド型自走枠と比べると、かなり原始的な構造をしている。
 
 
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通路の幅が狭いので、カメラに自走枠の全体を収められない……。
 
 
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北炭幌内炭鉱で1984年まで使用されていたD型ライスハーケンホーベル。
博物館入り口にあったS3型ライスハーケンホーベルト比べると、爪の数も少なくかなり小ぶり。
 
 
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実際に轟音をたてて稼働するチェーンコンベアとアイコフ製シングルレイジングドラムカッター。
このドラムカッターは南大夕張炭鉱で使われていたものと思われる。
奥に見える青色のはヘムシャイドのT280-9/24 シールド型自走枠。
 
 
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三井製MRH45-13 ロードヘッダーも先端部を回転させて動き出します。
 
 
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バッテリーロコの前に使われていたトロリーロコ。
上砂川で展示されていたものよりも姿勢が低く、屋内保管なので状態も良い。
 
 
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ユニック車。
トラックに積んだユニックとは構造はほぼ同じだが、子供みたいに小さい。
坑内での重機材の積み下ろしに使われていたのだろう。
 
 
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バケットローダー(ロッカーショベル)。
赤平のと比べるとバケットが少し大きく、首振りもできるみたいだ。
 
 
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坑内変電設備と開閉器。
地上から送られてくる電気を、機械に合わせた適正な電圧に変換して開閉器へ繋げる。
 
 
 
まだ続きます。