石炭の歴史村 石炭博物館 その4

炭鉱機械類の展示の次は、いよいよクライマックス(?)の史蹟 夕張坑の見学です。
入る前に係員からLEDライト付きのヘルメットを渡されます。
この辺から、地下っぽい独特の臭いがしてきます。
 
 
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捜検所
炭鉱では入坑する前に、捜検係員によって作業着のポケットを触ってタバコやライターなどを持ち込まないように一人づつ念入りにチェックをしていました。
 
 
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このマネキン、薄暗い場所にうつむき加減で配置されているからか、やたらと不気味な雰囲気がします。
 
 
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捜検を過ぎたら少し広いフロアに出て、これから坑口を下りていきます。
 
 
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夕張鉱の案内図
四角い坑道をぐるっと一周します。
歴史村が作られる前は、この坑道は北炭の来客者用観光坑道兼救護隊の演習坑道として使われていました。
 
 
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側溝を流れる地下水の音以外は何も聞こえない静かな坑道です。
 
 
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階段を下りて最初に見えるのは救急ハウス(救急テント)と呼ばれる避難設備です。
ガス突出が発生した時にはこの中に逃げ込み、酸素ボンベや圧搾空気バルブで通気を確保して、救護隊が助けに来るまで中で籠城します。
81年の夕張新鉱事故の時には、事故現場付近にあった救急ハウスには鉱員達が殺到しました。
 
 
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救急バルブ(エアバルブ、救急マント)
これもガス突出や坑内火災でメタンガスやCOが充満した時に呼吸を確保するための設備です。
吊り下がったビニールを頭から被り、コックを捻って空気を吸いながら救援を待ちます。
 
 
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上添坑道の掘進現場。
暗くてよくわからないとは思いますが、エキスカベーターと呼ばれるキャタピラ式のロッカーショベルが中央にあります。
 
 
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キスカベーターの前には炭壁をピックで掘り進む掘進員がいます。
ちなみにこの炭層は、正真正銘の本物の炭層です。このように見ることができるのは日本でもここだけだという。
 
だけど、暗くジメジメした場所にあるからか、マネキンの作業着にはカビが生えてまだら模様に……。
 
 
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自走枠とドラムカッターで機械化された切羽。
これも肉眼ならまだしも、画像ではよく見えないな…。
 
 
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切羽に沿った坂道を下りて下側(ゲート坑道)から自走枠を撮影。
地下で展示されていた日本鉱機のチョック枠を何十基も据え付けてあるみたいだ。
 
 
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ゲート坑道の掘進現場。
ここには小型ロードヘッダーが設置されています。
ロードヘッダーの先端部から後部に向けて撮影。
 
 
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ロードヘッダーのそばにあるガス抜き座
ここにはガス抜き用ボーリングマシンとガス吸引用ダクトがあります。
 
 
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ドラムカッターやロードヘッダーの開閉器。
 
 
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坑道の天井には粉塵爆発の伝播を防止するための水バッグが吊り下げられています。
粉塵爆発が発生すると振動で水バッグが揺れて中の水がこぼれ落ち、粉塵(炭塵)を湿らせて爆発や延焼を食い止めます。
 
 
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坑道側面に設置されたメタンガス自動警報装置。
夕張新鉱ではガス警報装置の目盛りが反応しないよう常に細工されており、これが事故の遠因となりました。
 
 
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切羽から掘り出された石炭を運ぶチェーンコンベアと、新鮮な空気を切羽へ送り込む風管。
 
 
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ポンプ座(坑内水バッグ)。
坑道や切羽から滲みでた地下水はここに集積され、大型ポンプで坑外へ排出されます。
これは他の展示物とは違って実働しており、大きなポンプ音がしていました。
 
 
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各種水中ポンプ。
 
 
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ポンプ座前からは長い上り階段になっており、そろそろ夕張坑も終りが見えてきた。
階段の中間地点から坑底側を見る。
 
 
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夫婦による狸掘り採炭。
坑口はすぐそこです。
 
 
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長い階段を登ってようやく外に出ました。
ずっと暗い場所にいたからか、休日午後の太陽の光が眩しい。
実際に仕事が終わって坑内から出坑する炭鉱マンも、こういう感じだったのだろうか。
 
以前だと坑口の上に安全第一の標語と緑十字が掲げられていたのですが、いつの間にか撤去してしまったようです。
あった方が雰囲気が出てて良かったのにな……。
 
 
もうちょっとだけ続きます。