長江サイドカー 长江边三轮摩托车

さて、今回は炭鉱から離れてサイドカーの話でもしましょうか。
 
イメージ 1
 
車体をジャーマングレーで塗装されたこのサイドカーの名前は、CJ750長江といいます。出身地はその名の通り中華人民共和国で、開発・製造は江西省南昌市にある人民解放軍の航空機工廠です。長江の解説をするとそれこそ長々とした文章になるので書きませんが、簡単にいうとBMWの孫、ウラルと血を分けた兄弟といった感じのサイドカーです。

第二次世界大戦時、ソ連はドイツのBMW R71をフルコピーしたM72サイドカーを量産し、各部隊に配備を進めた→戦後、新国家として樹立した中華人民共和国が独自にZundapp KS500のコピー(井崗山)を試みるも失敗に終わる→ソ連は中国にM72の生産設備や機材、技術を譲渡()→1957年12月 中国がそれらを使用してサイドカーの国内生産を開始。車名を「長江」と命名した
……だったかな?

最初に作られたCJ750M1はSVエンジン搭載のM72(後のウラルの祖先)そのままでしたが、その後に作られたCJ750M1Mは電装が12V化、デスビもエンジン左側面に出てポイント交換が容易になり、更にCJ750M1Sになるとエンジンが改良されてOHVとなりパワーアップしました。
ちなみに自分の長江はCJ750M1M(1966年生産)で、入手してもう5年近くが経ちます。
世間ではBMWのパチモン、バッタモンとよく馬鹿にされる長江ですが、実は半世紀以上の長い歴史を持ちます。それとスタイル的にも現行のウラルより長江の方が断然カッコいいです(親バカ)。

フルシチョフによるスターリン批判(1956年2月)が発表される以前のソ連と中国は、相互交流の盛んな友好国でした。
 
 
イメージ 2
21世紀の日本では、国内に正規販売店があるウラルサイドカーが勢力をかなり広げており、逆に入手手段が並行輸入/個人輸入しかない長江は、極めてマイナーな存在です。恐らくですが、日本国内にあるナンバーを付けて公道走行が可能な長江は60~70台にも満たないのでは、と想像します。
もとは軍用・公的機関用として採用された長江ですが、文化大革命当時に撮影された写真やニュース映画には、紅衛兵が乗ったものも多数確認されます。今でも中国内陸部の地方都市に行けば、地元の人が普段の足やツーリング用に使われているみたいです。
 
 
イメージ 3
 
さて、運転をした感覚ですが、個人的意見としては「抜群に面白い」です。スピードは遅いけど……。
二輪とも四輪とも違う独特の操作感は、最初こそ混乱をしますが、慣れるに従いなんとも言えない「味」になります。あまり上手く説明できないのですが、「機械を自分の思い通りに操る快感」とでも言うのでしょうかね? ただし、長江に限らずサイドカーって運転のクセがかなり強い乗り物なので、ダメな人ににはとことんダメだったりします。
 
GooBikeやヤフオクなどで大して走行距離が伸びていない、年式の新しい中古サイドカーが数多く売られているのは、その辺に原因があるかと思います。なので、あまり深く考えず安易に飛びついて衝動買いをするのは止めましょう。決して安い買い物ではないですし、コーナリングでの転覆自爆事故も意外と多いです。
サイドカーの事故に関してですが、身近で2件発生したのを知っています。一つは転覆して側車ヘコミ&塗装は傷だらけで運転者は擦り傷と打撲、もう一つは曲がりきれずに電柱へ突っ込んで側車が全損しバイク本体も損傷、運転者は頭部強打及び複雑骨折で二ヶ月入院、というものです。
 
イメージ 4
 
 どこから眺めても全然飽きませんが、特に左側面から見るアングルがメカメカしていて好きです。
燃料タンク横のBMWマークは前オーナーが付けたものです。剥がすと跡が残りそうなのでこのままの状態。
それに貼ってある方がカッコいい(笑)。
観光地や道の駅の駐車場でバイクに知らない人がこの長江を見ると、10人中10人が「コンバットでドイツ兵が乗ってたやつでしょ?」「大脱走に出ていたサイドカー?」といつも質問されます。
まぁ、余程のバイクマニアでもない限り普通の人は長江なんて影も形も知らないしなぁ……。