夕張新鉱という炭鉱について
1970年に建設工事が開始され1975年営業出炭開始、そして1982年に閉山した北炭夕張新鉱。
当時の金額で360億円近い莫大な巨費(今の金額で換算すると1000億円を超えると思われる)が注ぎ込まれ、坑内外管理にコンピューターが使用されるという最新鋭の超ハイテク炭鉱(※)であった。既に石油と輸入炭にシェアを押されて斜陽化が著しかった北炭と、閉山による人口と税収入の大幅減で低迷していた夕張市の二者にとっては、まさに最後の頼みの綱とも言えた炭鉱だった。
『夕張新鉱が本格稼働すれば、もう安心だ』
『夕張新鉱が本格稼働すれば、もう安心だ』
『埋蔵炭量から計算すると軽く50年は採炭可能』
当初は北炭起死回生のエースとも讃えられた夕張新鉱であったが、実際は膨大な量のメタンガス、自然発火性が非常に強い炭質、坑道の鉄骨さえ容易く曲げる猛烈な盤圧など、とんでもない爆弾を多数抱えていた。
もし、1981年のガス突出事故が無ければ、国内炭鉱の規模縮小路線は避けられなかったにしても、あれほどまでに急激な閉山の連鎖は、もう少し緩やかになっていたかもしれない……。
※ただし、コンピューターで管理された炭鉱としては、1970年に完成した三菱南大夕張炭鉱の方が先ですが。
新鉱開発計画概要 ↑
1969年に製作された、手始めに簡単な見積もりを出すための叩き台といった感じの概要書。
実際に作られた夕張新鉱と比較すると立坑と斜坑はそのままですが、切羽や坑道の配置などにかなりの違いが見られます。
ちなみにこの頃は名称として「新清水沢炭鉱」とも呼ばれていました。
(北海道立図書館:所蔵)
夕張新炭鉱開発概況 ↑
恐らく開発工事前後に作られたと思われる告知用パンフレット。全ページがカラーなので、当時の北炭の並々ならぬ気合の入り具合がわかります。
内容としては清水沢清陵町~沼の沢を中心とした鳥瞰図のイラストによる夕張新鉱の位置概略と坑道配置といった感じです。
(夕張地域史研究資料調査室:所蔵)