大夕張へ

こないだの金曜日に時間があったので大夕張まで走ってみました。
太陽が出て風も弱い、絶好のバイク日和でした(そのかわり最高気温は13℃と低めでしたが)。多分、これが本年最後のツーリングでしょうか。
 
 
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大夕張へ向かう途中で見かけるこの建物は、旧北炭清水沢炭鉱の坑口事務所です。 位置
1947年営業出炭開始、1980年閉山。今は木材加工工場として使われています。
夕張市内に多数存在した炭鉱関連建築物の殆どが壊されている中、当時そのままに現存しているのは、この清水沢炭鉱の建物だけです。
 
 
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左側に見えるのは旧安全灯室。現在は倉庫として使われています。 位置
 
 
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工事中のシューパロダム 位置
左側に見えるのは旧道のトンネル。
 
 
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三弦橋 位置
この日は以前見た時よりも水位が上がっており、満水に近い状態。観光客も自分含めて7~8人はいました。
紅葉の季節はとっくに終わっていたが、枯れ枝に囲まれた三弦橋もまたオツなものである。
 
 
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三弦橋を眺める展望台のすぐ後ろには、三菱大夕張鉄道で使われていたスノーシェードがそのまま残されています。 位置
 
 
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白銀橋 位置
夕張岳への登山ルートとして知られていますが、住民退去前はこの橋の奥にも住宅や農地が広がっていました。
この橋もダム完成後は三弦橋と運命を共にします。
 
 
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近くで見ると結構錆が目立ちます。 位置
撮影している間にも工事関係のワゴン車が横を走り抜けて行きました。
親父曰く「これは二代目。以前の白銀橋は吊り橋で、橋が切れてトラックが水中に転落する死亡事故があった」のだとか。
 
 
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ダム完成後、白銀橋に代わる夕張岳登山ルート用の橋桁 位置
 
 
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明石沢川にかかるトラストガーター鉄橋 位置
草や木の葉が落ちたので全体がきれいに見渡せます。
奥に見えるのは工事中の新道。
親父が子供の頃、度胸試しでこの橋を友達同士で渡って遊んだという。今やると確実に列車停止&警察に通報モノである。
 
 
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何人かのグループで鉄橋の撮影をしていました。
 
 
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遺物その1
【交通安全都市 夕張市】の看板
 
 
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遺物その2
道路脇の赤錆にまみれた標語塔
よく見ると「モデル町 皆なの力で非行追放」「人の子もわが子もみんな社会の~(判読不明)」と書かれている。こちらからは死角だが、多分裏側にも標語が書かれていると思う。
そういえば木の電柱なんてまともに見るのは20年ぶりくらいだろうか。
……あ、一部で有名なキリ助もあったけれど撮影し損ねた。
 
 
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工事用の砂利置き場 位置
ベルトコンベアの近くに親父や祖父が住んでいた鹿島緑町の炭住があったという。
 
 
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夕張川河畔、官行のメタノール工場跡地 位置
今から26年ほど昔にここへ来たことがある。当時は小学1年生くらいだったが、まだ工場設備が残っていたような…。
 
 
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三菱大夕張炭鉱のズリ山(中央) 位置
この辺まで来ると工事現場もなく車も通らないので寂しさが増す。
そして時間の余裕がなかったので、ズリ山探索はできず。無念…。
 
大夕張は一時間半ほどの短い時間だったので、サラッとしか見てまわることしかできませんでしたが、まぁボチボチ撮影はできたかと思う。
 
 
ここでUターンをして夕張市街地へ戻る。