ドキュメント 札幌・真夜中の震度6

最大風速40m/sを超える勢力を維持しながら北海道に最接近をした台風21号は、住宅や工場の屋根を吹き飛ばし、街路樹や電柱をなぎ倒しつつ道内の各地域へ大きな爪痕を残した。
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だがそんな台風21号も、9月5日正午にはシベリア方面へ抜けて温帯低気圧に変化をした後は、次第に勢いを失って天気図から姿を消した。そしてその日の夜、暴風雨への注意・警戒を解いた北海道民の多くは、台風一過に安堵をして床に就いた……はずだった。


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9月6日(木) 北海道札幌市 03:07 AM
……
………
……………
ユサッ…ユサユサ、ユサッ………カタカタカタッ…
体を震わせるような、小刻みな揺れで目が覚めた。部屋の中はまだ暗い。耳を澄ませばクローゼットや本棚がきしんで微かな音を発しているのがわかる。
 (……? 軽く揺れているな…震度2か3くらいの地震か?)
突然の寝起きで頭がボーッとする。
頭を横に向けて枕元にある目覚まし時計へと手を伸ばし、時間を確認しようとした「そのとき」だった。

ガタッ、ガタガタガタガタッ…ゴオォォォ、ガタガタガタガタガタガタガタガタッ、ガガガガガガガガガガガガッ

 「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
咄嗟のことで声が出ない。布団に包まれながら夢うつつとしていた思考は、10秒ほどの時間差で訪れた暴力的かつすさまじい揺れにより、一気に現実世界へと引き戻された。
下から猛烈な勢いで突き上げる激しい縦揺れで、全身の筋肉が緊張して強ばるのがわかった。家そのものも大きく揺さぶられ、壁や天井からミシミシと不気味な音を立てている。本棚からは何冊もの本が空中を飛び、机の上にあった書類や文具も勢いよく落下。床に直接積んである書籍類もドサドサと倒れた。
 (ヤ、ヤ…ヤベェ、この揺れは尋常ではないぞ……)
今までの人生で体験したことがない、生命の危機を感じるほどの強大な揺れ。そして心臓を鷲掴みされたかのような恐怖心も瞬時に湧き起こった
だが、こうなってはどうにもならない。何とかして布団の上で耐える他なかった。

永遠に続くかと思われたほどの揺れは、30~40秒で急速に収まった。そしてその揺れが収束すると同時に、携帯電話からは不安を掻き立てるような緊急地震警報のチャイムが鳴り響いた。
 「肝心な時に限って鳴るタイミングがワンテンポ遅いのかよ……」
警報のタイムラグに毒づいたところで仕方がない。のろのろと布団から這い出て照明になりそうなものを探す。
 「…たしか本棚のそばに、先日のキャンプで使う予定だったヘッドランプがあったはずだが」
まだ地震の余韻が残る暗闇の中、手探りでライトを探し出してスイッチを入れた。LEDの白っぽい明かりに照らされた部屋の中は、言葉にならないくらいにグチャグチャだった(まぁ元から汚い部屋だが)。

ドアを開けて廊下へ出ると既に両親が起きていた。お互いの無事を確認し、居間へ移動してテレビをつけた。なお、運が良いことに、あれだけ派手に揺れたものの居間にあるテレビや食器棚、冷蔵庫、サイドボード等は倒れておらず、心配していた家具類の被害は一切なかった(我が家唯一の損害は、玄関にあったガラス製の小さな花瓶が割れただけ)。
臨時ニュースによると震源胆振地方東部で震度は6強。北海道の隅から隅までのほぼ全域が大なり小なり揺れたというのだから、これは恐るべきレベルである。札幌の震度は5強(9月8日に札幌市東区震度6弱に修正)を記録した。自分は揺れの大きさと過去の事例から十勝沖(2003年9月)か南西沖(1993年7月)が震源だろうと予想をしたのだが、まさか胆振方面の内陸部だったとは。

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STV札幌テレビ放送Youtube公式チャンネルより/9月6日放送
震源地に近い胆振周辺は、後に震度6強から震度7へと修正されている。

かなり揺れは大きかったけれど無事で良かった……と、胸をなでおろす暇もなく、突如として居間の電気が消えた。窓から外を見ると真っ暗闇。それもこの家だけではなく、近隣のアパートや遠くに見えるマンションも、すべての電気が消えていた。
これが後に報道される「北海道全域停電(ブラックアウト)」の端緒であった。

03:55 AM
普段着へと着替えて、LEDライトを片手に外へと出た。街灯はおろか信号機も全部消えている。
外には残暑のようなぬるい空気が漂っていた。この季節にしては湿度が高く、ややジメッとする気温(22~23度)だ。隣近所の人達は、懐中電灯を片手に寝間着姿で玄関先に出てきて話をしている。
どうやら町内会の全員が無事みたいだ。

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近所の交番。
暗闇の中、警察官がパトカーの赤色灯を点灯させて出動の準備をしていた。

うーん、これはただ事ではない。一旦自宅へ戻って色々と準備をしよう。


04:35 AM
用心のため、寸胴鍋や空のペットボトルに片っ端から水を貯め(上水道は運良く断水していなかった)、家の中にあった使えそうなラジオや乾電池、照明器具を居間に集めた後、車庫から自転車を出して再度周辺の偵察を開始した。

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きれいな朝焼けの中、電気の消えた信号機。
この薄暗い中、丘珠空港からは報道各社や警察・自衛隊関係のヘリが多数飛び立っていった。

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地震の発生から1時間半が経過。
とりあえずコンビニを何軒か回ってみたが、停電のためPOSレジと電子マネーは使えず、非常灯がぼんやりと点くだけの薄暗い店内では、店員が電卓とメモ用紙を片手に販売をしていた。地震直後から客が一斉に殺到したため、主な商品(おにぎり、パン、弁当、インスタント麺、缶詰、飲料水、乾電池)は全てが完売。やはり皆考えることは一緒だ。


08:40 AM
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丘珠郵便局近くの交差点。
信号機が完全に消えているので、徐行・一旦停止をしながらの通行となっている。意外なことにクラクションなどは聞こえず静かなものだった。

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大渋滞の札幌新道の交差点で、手信号誘導をしている警察官。
新道は札幌を代表する主要道路なので、機能している信号機も一部にはあったものの(電気が別系統なのだろう)、殆どは消えていた。消えている信号があまりに多過ぎるため、他の場所の交差点にまで警察の手が回っていない。

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突然懐かしい音がした。独特なキィーンという耳に障るようなカン高い金属音…これはロールスロイス ダートエンジンだ.。
空を見上げると空自所属の赤白チェッカー塗装をされたYS-11が飛んでいた。


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停電のためテレビは見られないので、情報収集は自ずと電池式のラジオと携帯付属のワンセグがメインとなった。ワンセグ視聴は常にバッテリー残量を気にしながらとなるのであまり長い時間見ることはできないのだが、この状況下だと背に腹は代えられない。
北海道内にある各テレビ局は、全てが通常番組の放送を取りやめて地震に関連する特別報道体制となっていた。震源地の直近にある安平、厚真、平取、鵡川方面の被害は特に甚大で、安平町に至っては山あいに点在する農家の家々が広範囲に発生した土砂崩れによって、住人もろとも飲み込まれてしまった。
札幌市内では、清田区里塚の住宅街で車や道路が埋まるほどの深刻な液状化現象が発生。厚別区などでは大規模な断水が報道された。JR札幌駅やすすきの、大通公園周辺では、出張中のサラリーマンと道内を旅行中だった大勢の観光客が、交通手段と宿泊先を失って途方に暮れているという。

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STV札幌テレビ放送Youtube公式チャンネルより/9月6日放送

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STV札幌テレビ放送Youtube公式チャンネルより/9月6日放送

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STV札幌テレビ放送Youtube公式チャンネルより/9月7日放送


10:08 AM
実を言うと今日9月6日は、わが愛車が2年に一度の車検を受ける予定の日だった。札幌運輸支局の事前予約も数日前に済ませてあったのだが、未明からの全道一斉停電で窓口・検査ライン共に休業状態だろう(けれど、一応は確認のために自転車で出向いてみた)。

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運輸支局へ向かう途中、地下鉄東豊線 新道東駅に来てみると停電のため始発から運行停止となっており、シャッターが下ろされていた。

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札幌市内の路線バスは全線が運行停止中。
市電、道内都市間バスやJR、空港などもストップしている。

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市内各所にあるガソリンスタンドも、地下貯蔵タンクからの汲み上げ用ポンプが停電で動かせないため閉店している。一部の店舗では自家発電機を使って営業をしていたが、給油は警察や消防などの緊急車両のみに限定されていた。

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新道東駅の交差点。
東豊線に沿って南側へ向かう道路(東15丁目通)の一部がひび割れ・陥没により封鎖されていた。

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パッと見は歩行者天国みたいだが…

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その路面のあちこちに多数のひび割れが確認できる。

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さらに深さ1m前後の大きな陥没も見受けられた。

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イオン元町ショッピングセンター前の道路は、200mほどの長さに渡って陥没。

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そしてそのイオン元町店の店頭には数百人近い大行列が。

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イオン元町店のすぐそばにあるセイコーマートにも50~60人の行列ができていた。
列の横を通り過ぎる際に、並んでいる人たちの会話をチラッと聞いてみると、飲料水が販売されるのかを気にしている様子だった。新道東駅元町駅周辺には規模の大きなマンションが多数あるので、停電による断水(マンションではポンプで水を最上階の貯水タンクに汲み上げて各部屋へ分配するのが一般的)の影響を受けた人が多いのだろう。

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東8丁目通(北光通)へと移動。
ここでもスーパーには長蛇の列が発生していた。

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10:40 AM
札幌運輸支局に到着。まるで初夏を思わせるような天気と暑さのため、全身がじっとりと汗ばむ。そしてやはりと言うか、車検業務は第一ラウンドから全部中止となっていた。
駐車場にいた職員曰く「停電で光軸や排ガスのテスターは動かせず、データ管理用のコンピューターも起動不能。業務再開は未定です」とのこと。そりゃそうだ。

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運輸支局の裏にある石狩街道。
普段の交通量と比較をすると、この日は1/10以下。いつもの喧騒が嘘のようにガラガラ。

この時点で地震発生から7時間半ほどが経過した。街中を一通り観察してみると、札幌市内は別段殺気立ってはいないものの、どこか浮ついたような何とも言えない妙な緊張感が到る所から感じられた。
国内第4位の人口を誇る190万都市の札幌が、初めて経験をする大地震と大停電……ここで移動を切り上げ、自宅へ戻ることにする。


…で、愛車の車検の話が出たのでちょっと書きますが、本当のことを言えば地震発生直後から長江のことがずっと心配でたまらなかった。それはなぜかと言うと、保管している親戚宅の農機具倉庫が築80年以上と恐ろしく古いためだ(なにせ50年前に亡くなった母方の曽祖父が昭和初期に建てたものだから)。ぶっちゃけ、突然大きな余震が来たら愛車ごとグシャッと潰れてもそう不思議ではない。
そんな悪夢は想像しただけでも身震いがする……こうなったら早急に自宅へ数日ほど(余震がある程度収まるまで)疎開をさせなくては。
運輸支局から戻って自宅で軽く一息つけた後、再び自転車に跨って親戚宅へと向かった。今日は夜中から自転車を漕いでばかりだ…。

激チャリをして親戚宅に着くと、額から流れる汗もそのままに倉庫内にある愛車のそばへと駆け寄った。
外見は特に損傷などしていなかったが(朝4時頃に叔父から電話があり、無事なのは知っていたが)、実際に自分の目できちんと確認をするまでは全く安心できなかった。心配性と笑いたいなら笑え。

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13:32 PM
とりあえず数日間の自宅疎開となった。さて、車検の日時はどうしようかねぇ……。


さすがに今日は精神的にも肉体的にも疲れた。
一応、蛇口からは水が出るし、食料もある程度の備蓄がある(4~5日前後)ので、今から急いで買い足すようなものはないのが救いだ。なので昼以降はソファで横になり、できる限り体力を温存しながらラジオのニュースを聞いて過ごした。


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9月7日(金) 06:20 AM
カーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさで目が覚めた。昨日と同じく好天で気温は平年よりも少し高い。もしも地震の発生が氷点下の気温となる厳冬期や、1日ずれて台風21号の北海道接近と重なっていたら、更なる大惨事となっていたかもしれない。
地震の発生から丸一日が経過し、当初は錯綜・混乱をしていた情報も次第に整理され、被害状況がかなり詳しく把握をできるようになってきた。

が、とりあえずは朝食の準備だ。まだ停電中なので炊飯器を使うことはできない。なのでカセットコンロとミニ土鍋で白飯を炊くことにした(自分で言うのもの何だが、直火による炊飯はかなり自信がある)。
予め研いで水を十分に吸わせた米を土鍋に入れ、米の上部が少し浸る程度の水を注いで蓋をした後、最初から一気に強火で沸騰させる。沸騰後は吹きこぼれないよう中火にして、中からフツフツと音がしだしたら弱火で5~6分かけて残った水分を飛ばし完成、となる。コンロから下ろして15分ほど蒸らした後、茶碗に盛りつけて朝食とした。

テレビは停電で見られないので、飯を食いながら新聞を読む。
今朝届いた朝刊は、当然のことながら地震の大きな被害が一面を飾っている。ただし、地震による紙類節約のためなのか記者が現場へ出払って記事が書けないのか、朝刊にしては16面という薄さだ。

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上:9月7日 北海道新聞 朝刊
下:9月6日 北海道新聞 夕刊
それぞれの新聞の一面。横ぶち抜きでこれだけ大きな文字が配置された記事は、7年前の東日本大震災以来ではないだろうか。なお、地震発生当日に大急ぎで刷られた6日夕刊は、わずか4面しかない。号外に毛が生えたようなものである。

08:25頃 AM
そしてその時は来た。朝食後に食器を片付けている最中、突然電気がついたのだ。
約30時間ぶりの通電である。すぐさまテレビをつけて現時点での地震関連ニュースを確認した。
それにしても安平町の土砂崩れ現場の映像は酷いものだ。山間部の斜面が数十ヶ所も同時に崩壊していて言葉もない。


ここにきて悩みの種が現れた。それは昨日親戚宅から疎開をさせた我が愛車のタンク内のガソリン残量である。5日前の9月2日に、自分は積丹半島を一周する日帰りツーリングをしたのだが、その帰宅後に給油するのをすっかり忘れてしまっていたのだ。何たるチョンボ…。
たしか岩内町で給油をしてから泊、神恵内、積丹、古平、余市と海沿いをぐるっと回って札幌に戻ったので、燃料タンクの中には5~6リットルほどしか残っていない。電気が復旧したということは、ガソリンスタンドも営業を再開しただろうし……うーん、どうしようか。今すぐどこかへ走りに行くという訳ではないのだが、まだまだ余震も多く、今後の状況がどうなるかは楽観視できないため、念の為に給油はしておきたい。

そして、このようなときに思い出すのが、今から7年前の東日本大震災当時に全国で多発した「ガソリンパニック」である。被災地やその周辺では地震によって製油所からスタンドへの供給が滞り、給油が難しくなったため一種の恐慌状態となって各地に伝播したのだ。
今朝のニュースでも放送されていたのだが、道内各地でも徐々にガソリンスタンドには行列が発生してきているという。

とりあえず、給油できそうなガソリンスタンドを何ヶ所か偵察をしてみた。

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だが、どこのガソリンスタンドもずらりと500m以上の長い給油待ちの列が形成されていた……見なかったことにしよう。


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6月8日(土)
かなり綱渡り的ではあるものの、道内にある無事な火力発電所の再稼働と、本州方面からの送電が開始されたことにより、震源地に近い胆振地方東部を除く北海道の半分以上の停電が解消された。
だが、厚真町の土砂崩れ現場では、消防や自衛隊による夜を徹した懸命の救出活動が続いている。


そういう自分は愛車へのガソリンをどうしようか悩んでいた。何かいいアイディアはないだろうか……そうだ、ジェリカンを直接持ち込んで給油をしてもらえば簡単なのではないか?

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船の側面にラックで固定してある20Lジェリカンを取り外し、手に持ってガソリンスタンドへと出向いたのだが、結果を言うとどこもダメだった。理由は「当店はセルフスタンドなので」。
そう、セルフ方式のガソリンスタンドでは事故防止のため携行容器に給油はできないのだ(知ってたけど)。想定外だったのは、フルサービスを併設しているガソリンスタンドでも、この状況下では給油機の設定を全てセルフに変更をして店員による給油作業を中止していたこと。どこもかしこも大忙しで手一杯なのだ。
……ま、しゃあないよね。

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10:47 AM
…という訳で、愛車で直々に列へ並ぶことに。
昨日よりかは列が若干短いが、それでも軽く300m以上はある。うへぇ。
そして列の待機中はオーバーヒート防止の為に、エンジンを止めてずっと押して歩いた。平地なので何とかなったが、少しでも傾斜があると危なかった。

周囲からはジロジロと見られている…ような感じもするが、なるべく気にしないようにした。そりゃあ、こんな大地震下でサイドカーという珍車を引っ張り出してガソリンスタンドの列に並んだらねぇ……もしかすると「この大変なご時世にバイクでふらふらと遊び歩いている不謹慎な野郎」と思われたかもしれないけど。

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11:34 AM
50分ほど並んでようやく給油。ちなみに客が次々と後ろへ並んでいるため、給油量は1台20Lまでの制限が設けられていた。
燃料タンクの給油口にノズルを差し込むと、わが愛車はレギュラー15.3L@149円をグビグビと飲み込んだ。とりあえずこれで一安心。

そうこうしているうちに札幌市内は、少しづつではあるが日常を取り戻そうとしていた。


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9月9日(日)
札幌を含めた道内ほぼ全域が停電から復旧した。そのため、市内にある会社や工場では、休日返上の突貫作業で復帰を進めているところもあるという。だが清田区里塚や厚真町では、避難所へ身を寄せている住人が未だに大勢いる。

自宅の冷蔵庫は、気をつけていたにも関わらず、地震発生後の30時間近い停電で傷んでしまった肉や魚が出てしまった。なので、何か腹の足しになりそうなものを求めてスーパーなどへ(あまり期待をしないで)出かけてみた。

まずは食料品売場を併設してる中規模のホームセンター。
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インスタント麺は完売。
画像には写っていないが、左側にはバックヤードから運んできたであろうカップ麺の空ダンボール箱が無造作に積まれていた。

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フルーツ缶や野菜缶を除くイワシやサバ、サンマ等のおかず系缶詰も完売。

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冷凍食品全般は、停電により溶けて傷んだらしく、全てがカラ。

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今回、個人的に感心したのだが、インスタント麺やレトルトご飯ではなく、パック餅に目をつけた人はかなり鋭いと思う(コンパクト、長期保存が可能、個別包装、調理が簡単、個数管理が楽など利点が多い。ただし高齢者や幼児には不向きだけど)。

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停電の影響でキャンプ向けの小型LED照明や懐中電灯、ヘッドライトも一つ残らず完売。当然ながら乾電池の棚も単1から単4まですっからかんとなっている。ボタン電池エネループくらいしか残っていない。

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自動車用品コーナーの燃料携行缶も完売。ただし3~5Lの小容量タイプはまだいくつか残っていた。画像にはないが、灯油用ポリタンクも売り切れていた(恐らく飲料水などを貯める目的で購入した人が多数だろう)。

続いて別のスーパーへ。
日曜夕方に訪れたのだが、普段とは違って思わず「もしかして閉店間際か?」と勘違いをするくらいに客が少なかった。
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野菜売り場は玉ねぎ、にんじん、カボチャ、じゃがいもなど常温保存が可能な野菜以外は陳列なし。特にほうれん草やレタスなどの、収穫後の鮮度維持が何よりも重要な葉物野菜や痛みやすいモヤシは全滅だった。

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納豆、豆腐、厚揚げ、かまぼこ、乳製品などの商品棚も空。食品加工工場が停電で生産停止したため、元に戻るまでは通電後もなお数日~一週間程度はかかる見通しだという。

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精肉や魚介類は、店頭で冷蔵保管してあった分は停電により傷んで廃棄となったため、売り物になるようなものは無かった。

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カレーや中華丼、牛丼などのレトルト食品はほぼ完売。

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インスタント麺も完売。

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パン類も空(製パン工場の本格稼働ができていない)。惣菜・弁当コーナーも調理できる食材がないため空のままだった。

結局、大規模停電という非常事態とそれに伴う客の殺到&流通の停滞によってまともな食材が残っておらず、適当な袋菓子を何個か買う程度となった。これは商品によっては意外と長引きそうだ……。


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9月13日夜現在、市内にあるほとんどのスーパーでは商品・物流共に地震前の水準にある程度まで戻ってきてはいるが、やはり一部では未だに欠品が続いている(特にパン、乳製品、納豆などが顕著)。

震源地以外の地域(特に都市圏とその周辺)では、揺れそのものよりもその後の停電による影響が極めて大きかったのがわかる。これについては北電の発送電システムが苫東火発に大きく頼り過ぎた結果だ、とも報じられている(震源地に近かったのも致命傷だった)。今回の地震を受けて、来年2月に営業開始予定であった石狩湾新港の最新LNG火発が、11日から前倒しで発電を開始している。
それと泊原発は原子炉から核燃料が取り出されて以前から冷却状態なのは本当に僥倖だろう。まぁ、東日本大震災以降の新たな安全基準に泊は不適合みたいなので、そのまま永遠に動かさないで欲しいが。


そして最後となりますが、今回の地震によって北海道内で亡くなられた41人の方たちに哀悼の意を表します。