上砂川へ寄り道
初めて三井砂川炭鉱の立坑櫓を見ましたが、最近まで各種実験で使われていただけあって今にも動き出しそうな雰囲気でした。
あまり関係ない話ですが、歌志内市の道路では火発へ石炭を運ぶダンプカーが多く走ってしました。
道路沿いにそびえ立つ旧三井砂川炭鉱の中央立坑櫓
閉山から2年後の1989年には地下無重力実験センター(JAMIC:Japan Microgravity Center)が創設され、深さ766mの試験カプセル落下装置として使われましたが、コスト面で利用が思ったほど伸びず2003年に閉鎖。坑口も密閉されました。
住友赤平炭鉱の立坑櫓と比べると非常にすっきりとしたデザインです。
立坑の目の前にある、かみすながわ炭鉱館
2005年4月以降ずっと閉館のまま(維持費問題だろうか?)。再オープンの目処は立っていません。
なお、館内には実際に動くモニターが設置してあり、操作体験もできたそうです。
年に一回くらいは開放してくれないかな……。
炭鉱館前には非常に立派な鉱夫像があるのですが、モロに逆光になって真っ黒ですね…。
とりあえず簡単にですが補正してみました。
手に持っているのはコールピックです。
この鉱夫像の正式名称は『敢闘像』。
戦争中に鉱員の士気を高めるために作られたが、設置されたのが敗戦3日前。
サイドダンプローダー
赤平に展示されているものとはバケット形状が少し違います。
この赤色塗装は防錆塗料の色だろうか?
吹きっ晒しの屋外に展示されている割には、それほど状態は悪くありません。
アーム部には三井のエンブレム。
車体後部には大きく三井建設の文字が書かれている。
三井砂川が誇る水力採炭装置 モニター
1964年に運用を開始し、1987年の閉山まで採炭の主力機械として使われてきた。
同時期に三菱茶志内、明治本岐、北炭夕張一鉱などでも導入されたが、23年もの長きにわたって使われたのは国内では三井砂川だけでした。
ドラムカッターやホーベルなどと比べると、モニターはかなり小さい。
水力採炭というシステムは、1961年に旧ソビエトから導入された。
この細いノズルから高圧で水を勢いよく噴射して石炭層を砕く。
水を上に向けて噴射する構造のため、炭層傾斜角が急であればあるほど採炭効率が良くなった。
ただし、水を大量に使うため切羽は水と泥だらけの高温多湿となり、作業環境は劣悪だった。
操作台
モニターから10mほど離れた場所に設置し、1人で遠隔操作を行う。
バッテリーロコ
赤平のものよりも古いと思われます。
炭車が2台連結されています。
中には石炭がびっしり
トロリーロコ
バッテリーロコが普及する前(昭和40年代以前)の坑内輸送の主力。
上に張られた架線から電力を得る構造となっているので、感電や不意に火花が出てメタンガスに引火する恐れがあったため、バッテリーロコが普及すると姿を消した。
トロリーロコとバッテリーロコは結構錆が浮いてヤレ気味です。
立坑櫓と敢闘像
という訳で、ここ上砂川では短い時間でしたが、貴重な機械類(特にモニター)を眺めたり触ったりして面白かったです。
この後、強烈な西日に目をクラクラさせながら札幌へ帰りました。
以上、おしまい